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弥生人は来なかった、稲作を導入したのは縄文人(日本人のルーツ 2016.6.15)

山東半島から稲作導入

前回(2日前)、大陸から朝鮮半島を渡ってきた人達はツングース系の畑作民族であり、水田稲作との関係は弱いことを指摘しました。

一方、Y遺伝子ハプログループ解析から、「縄文人はアイヌ系(D)とマレー系(O1b)の混成で両者とも海洋系の民族であったこと」を先に紹介しました。

私は、今、マダガスカルというアフリカの東岸の島に居ますが、ここの人達の大半は遠く東南アジアから移住してきたマレー系の人々であり、日本人と同じルーツを持っています。稲作が得意で、棚田を築き、アフリカで最も古い水田稲作の歴史を持っています。

そのことから推察しますと、日本においても、南方由来のマレー系の縄文人が、その航海能力を生かし水田稲作を導入したのではないかと思っています。

当時、南方の揚子江流域(江南地方)では世界最古の稲作が行われており、大規模な稲作遺跡として5000年前の「河姆渡(かぼと)遺跡」が知られています。そして、3000年前には、その稲作は中国南部一帯に広がり、北側の遼東半島まで広がっていたことが知られています。

三内丸山縄文遺跡の遺跡から、縄文時代に広い海洋情報網がり、中国の遼東半島辺りまで交易していたことが知られています。そのことから推察しますと、3000年前にはその中国南部の山東半島の情報も日本に伝わっていたと推察されます。

山東半島は、遼東半島に近いだけでなく、緯度は日本と同じであり、そこの稲品種は日本に適していたことが推察されます。

そこで、九州に居たマレー系の縄文人が、航海能力を生かし、その山東半島から日本に水稲稲作を3000年前頃から導入したのではないかと予想されます。

まとめますと、従来言われていた稲作技術をもった弥生人は来なかったことになります(笑)。来たのは畑作民族のツングー系であった。すなわち、水田稲作については縄文人が自力で導入した、というのが真相と思われます。

関連し、日本への稲作導入の経路を上に示しました。

一方、下の写真は、マレー系の人々が作ったマダガスカルの棚田の様子です。棚田は、人力で開発でき、原始的な水田稲作の形と思われます。日本の稲作も、当初は、このようだったと想像しております。

マダガスカルの棚田1

マダガスカルの棚田2

マダガスカルの棚田3


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  1. 2016/06/15(水) 02:58:18|
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