野菜を食べやさい

無農薬、無耕起、無堆肥による有機栽培を通じ、旬野菜、食と健康、自然との共生、退職後の人生について発信いたします。

ツングース系の民族と稲作(日本人のルーツ 2016.6.13)

マダガスカル・マジュンガの水田1

拙ブログでは、自然との共生のルーツなどと関連し、日本人のルーツについても愚考しております。今回は、縄文末期に日本にやってきたツングース系(満州系)の民族と稲作について愚考します。

ツングース系の民族が5000年前頃から日本に移住してきたこと」、その結果、西日本は、2500年前頃になると、人口増加のため自然採集経済が行き詰まり、新しい作物(水稲)を導入せざるを得なくなった、と拙ブログでは予想しております。

稲は5000年前には導入されていたことが分かってきました。しかし、本格化するのは西日本で食糧が不足してくる2500年前ごろと言われます。

その5000年前の稲ですが、それは陸稲であったと推察されています。陸稲は畑で栽培されますが、畑作は古くからあったことが知られており、その畑作物の一つとして稲も5000年頃から作られていたことになります。

しかし、一般に畑作は、地力を着けるため休耕期間が必要になるなどの問題があり、多くの人口を養うには広い土地が必要になります。さらに陸稲は、他の畑作物と比べ干ばつに弱い問題があり、畑作物として定着しなかったことが予想されます。

一方、水稲ですが、水稲は、森から流れてくる肥料を含んだ水を利用するため、無肥料で連作ができ、収量が安定しており、狭い土地で多くの人口を養うことができます。このため、水稲作(水田作)は人口が増えてきた西日本に適した作物であったと思われます。

そこで、当時、揚子江流域で広がっていた水田作が、人口の多くなった西日本を中心に導入され、その結果、日本は縄文時代から弥生時代に移っていったと思われます。

関連し、朝鮮半島を経由して日本に入ってきたツングース民族ですが、ツングース民族は満州民族に代表されますように畑作民族ですので、陸稲栽培には関係したかもしれませんが、水稲作の導入には直接関わっていなかった感じがします。

例えば、ツングース系の人達が居た当時の朝鮮半島ですが、稲作関係の遺跡は少ないことが分かっており、水田稲作の開始は日本より遅かったと指摘されています。

そこで、誰が主体となって稲作を導入したのかについては、次回に愚考します。

なお、上と下の写真は、記事と直接の関係ありませんが、マダガスカルの西北の港町マジュンガ近くの大規模な水田地帯の様子です。

マダガスカル・マジュンガの水田2


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  1. 2016/06/13(月) 01:10:46|
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