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日本人のルーツ、マレー系の人々愚考(日本人のルーツ 2014.8.9)

PNG独立記念日パレード

今日は曇り。午後からは雨となるようで、大地は潤い恵みの雨となることでしょう。

さて、「日本人と家庭菜園のルーツは縄文時代」、と先日、紹介し、日本人のルーツはマレー系とモンゴル系であったことを紹介しました。

関連し、今回は、最初に日本に住みついたマレー系の人々がどこから来たのかについて愚考します。

最近の古代史研究をながめますと、縄文時代に、日本全国が海で結ばれていたことが分かってきています。その代表的な遺跡が青森県の三内丸山遺跡でないかと思います。

その遺跡調査によると、三内丸山は海を通じて日本全国と結びついていたことがわかっています。すなわち、日本は初めから海洋民族国家だったことが伺えますが、そのDNAはマレー系の民族からきたのではないかと思われます。

フイリピンはマレー系の人々の国ですが、私はそこに2年半ほど住んだことがあります。そのとき、ルソン島北部の民族(イロカノ族)はハワイ人のルーツであることを知りました。それは、イロカノ族とハワイ人の言葉が極めて類似していることから判明したようです。

また、マレー系の人々が、7世紀頃、アフリカ大陸の東のマダガスカル島に移住し、山地で棚田を築き、稲作を行ったという話はよく知られた事実です。

さらには、太平洋の島々の人々は、その石像遺跡の比較から、マレー系の人々が東に移住して形成されたと言われています。そして、あのイースター島のモアイ像は、その石像文化の傑作とも言われています。

これらのことから考えますと、黒潮に乗ってフイリピンから日本に5万年前に来たマレー系の人々は、日本だけでなく、アフリカやハワイまでも移動できた海洋民族であったと推察されます。縄文時代に日本の周辺を船で自由に移動したというのは、彼らにとって普通のことだった、推察されます。

そこで、日本にきたマレー系の人々がアイヌ系の人々だとすると、アイヌ系の人々はどこから来たのでしょうか。ルソン島北部を通過してきたことは確かと思われます。

私の観察では、ルソン島北部の人々は混血していますが、アイヌ系の人々に似た人も少しいます。また、周辺のパプアニューギニアも行ったことがありますが、むしろ、こちらの方が、アイヌ系の人々に似た人々が多くいたのには驚きました。

ということは、アイヌ系の人々はマレー系の民族の一部であり、日本、フイリピン、パプアニューギニアに住んでいたが、日本とフイリピンでは混血が進み、そのDNAは薄まった、と考えることができます。

なお、上の写真は、そのパプアニューギニアの独立記念日のパレードを紹介した新聞報道(第一面)の様子です。民族衣装を着て、ダンスをし、記念日のお祝いをしているとありました。

また、下の2枚の写真はマレー系海洋民族に因んで、海産物のイカを使った料理です。我が菜園で採れた小ネギ、テンダーポール(ニラ花の茎)も使われています。テレビ番組、人生の楽園なら、イカ料理はいかが、なんてナレーターの西田さんが言いそうです(笑)。

以上、「日本人のルーツ、マレー系の人々愚考」でした。


イカとネギ

イカとテンダーポール


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  1. 2014/08/09(土) 06:59:20|
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