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野菜を食べやさい

無耕起、無堆肥による省力有機栽培を通じ、退職後の人生について発信いたします。さらには生ごみや剪定枝利用の土作り、家庭菜園での一句について紹介します。

マダガスカルの禿山と日本の緑深い山(日本人のルーツ 2016.6.29)

マダガスカルの禿山1

「マダガスカルの山に禿山(はげやま)が多いこと」を先に紹介しました。一方、日本に禿山は少ない傾向があります。同じ稲作民族でありながら、何故違うのか。今回は、素人ながらこの謎に迫ります(笑)。

前回、お墓のところで紹介しましたが、マダガスカル人の伝統的な神様は祖先です。この思想には、日本人にあるような自然(山の神)と共生するというものはありません。

このため、森を大切にするという考えはありません。

一方、地震や台風の多い日本では、山に木がないと容易に山崩れが起きます。したがって、山に木が必要であることが古くから知られていたと思われます。

また、日本では、山(森)から流れてくる栄養豊富な水が稲を育てることが知られています。この考えが古くからあったのか分かりませんが、山を大切にするという考えと一致します。

これらのためか、日本には多くの鎮守の森(神社)があります。そして、日本人には、特に太い木となると、神が宿っている思い、おはらい(許しを得ること)をしてから切るのが普通です。

以上のことから、日本人には、古くから山の木(森)を大切にするという考えがあり、それが山の神信仰と重なり、森が守られてきたのではないかと思います。

一方、マダガスカルには地震はなく、また台風も多くなく、山に対する信仰心もなく、これらの背景から木は燃料として容赦なく切り払われ、禿山ばかりになってしまったのではないかと愚推しております。

関連し、上と下の写真は、マダガスカルの山の様子です。元は森だったと言われていますが、現在は、ほとんどが禿山、注意してみますと山の天辺まで畑地になっているところもあります。

マダガスカルの禿山2

マダガスカルの禿山3

マダガスカルの禿山4


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  1. 2016/06/29(水) 03:46:29|
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家庭菜園と子供の食生活とガンリスク(食と健康 2016.6.27)

プランタ栽培のスプラウト

今回は、子供のときから野菜を食べるとガンになりにくいという記事について愚考します。

阿修羅掲示板に「10代の食生活と乳がん発症リスクの関連性、追跡調査で再確認(Forbes JAPAN)」という記事が紹介されていました。

要約すると、野菜嫌いな子供はガンを発症するリスクが高くなること、だと思います。言い換えれば、野菜嫌いな子供は、大人になっても野菜をあまり食べない、そのことがガン発祥のリスクを高めることになるということ、当然と言えば当然ですが。

何故野菜を食べないのか。それは美味しくないという理由が最大の理由です。我田引水になりますが、その意味で、家庭菜園は重要だと思います。

家庭菜園は、新鮮で美味しい野菜を食卓に運びます。このため、自然と野菜好きな子供が育ちます。最近では、野菜を食べている女性から野菜好きな子供が生まれるとも言われます。いわゆる胎教です(笑)。

もし、家庭菜園で美味しい野菜を供給できないとしたら、それは野菜の作り方に問題があると思います。私の経験では、腐植土に富んだ菜園からは、柔らかく、甘く、香り良く、美味しい野菜が採れます。私は、そのような野菜作りに励んでいる一人ですが、そのためか、私には3人の子供が居て、全員野菜好きです(笑)。

なお、上と下の写真は、マダガスカルのアパートで、プランタで有機栽培を楽しんでいる様子です。

プランタ栽培のレタス

生野菜サラダプランタ栽培の



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  1. 2016/06/27(月) 03:43:52|
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減塩はかえって危険という驚きと納得(食と健康 2016.6.25)

高血圧予防スプラウト

減塩はかえって危険]、 という、私のような減塩を実施している者には驚きのニュースが阿修羅掲示板に出ていました。その記事は次のとおりです。

「塩控えめの食事は体によくない。カナダのマクマスター大学の研究者らがこうした帰結に達した。マクマスター大学の調査には世界49カ国から13万人を越す被験者が参加。その結果、減塩にも健康に害をもたらさない最低レベルがあることがわかった。調査では減塩の必要性のある人は全人口の10%足らずで、そのほかの人たちが減塩した場合、逆に循環器、血管に支障が出ることがあきらかになった。」(引用終了)

さらには、「塩分制限で病気増の危険も…十分な摂取がかえって健康的?制限要は高血圧の人のみ?(Business Journal)」も紹介されていました。

また、食塩摂取量がもっとも多いのは何県の人だろう?(2014年)(最新)によると1日当たりの塩分摂取量は次のとおりです。

男性: 岩手(1位12.9g)、長野(2位12.6g)、青森(11位以下11.7g)、沖縄(最下位9.5g)、全国平均(9.8g)
女性: 岩手(1位11.1g)、長野(2位11.1g)、青森(11位以下9.8g)、沖縄(最下位7.8g)、全国平均(9.6g)

そこで、拙ブログのコメントですが、タイトルに驚きましたが、内容は説得力があり、妥当な結論でないかと思っています。理由は次のとおりです。

塩の採り過ぎは高血圧のもと、脳溢血のもと、と言われます。しかし、これは、体内の過剰塩分を肝臓や腎臓に問題のあるため除去できない人、あるいは、野菜不足や運動不足で血管が細く堅くなっていて危険な人の話と思われます。

上の記事から想像しますと、これら体に問題のある人達が10%で、この人達のことが強調されているのが日本社会と思われます。そして、関連し、拙ブログでは、「日本では高血圧基準が異常に低く設定されていること」、を紹介したことがあります。

我田引水になりますが、結論として、家庭菜園など適度な運動をし、野菜を食べ、肝臓と腎臓に障害のない健康な人は、減塩は必要ないと思われます。例えば、長野県ですが、味噌汁を多めに食べるよう勧めているところもあり、塩分摂取量は全国で2位と高めですが長寿日本一です(笑)。

なお、上と下の写真は、私ことですが、高血圧予防のために毎日食べているスプラウト栽培とサラダの様子です。サラダはマヨ味で食べますが、超新鮮で美味しいです(笑)。

高血圧予防サラダ


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  1. 2016/06/25(土) 00:32:55|
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縄文時代、ツングースの人達が来た人数は年間100人未満か(日本人のルーツ 2016.6.23)

前回(2日前)、ツングース系の人達が縄文時代の5000年前頃から日本に来て人口の半分ぐらい占めるようになったことを、ハプログループ解析から推定しました。

今回は、いつ頃、どのくらいツングース系の人達が日本にきたのか愚考します。

ウエブサイトの資料を見ますと、2000年前頃の弥生時代初期の日本の人口は60万人ぐらいと推定されています。前回の拙ブログ推定では、そのうちの半分(30万人)がツングース系であったと予想しています。

そこで、5000年前から2000年前頃までの3000年間にツングース系民族が来たとし、その数が30万人だったとすると、渡来人の年間数は次のようになります。

単純計算(30万人/3000年=100人/年)で、この時期、平均すると1年当たり100人ぐらい日本に移動してきたと推定されます。この数字には移住後の自然増は含まれていませんので、実際は100人未満となります。この数字は、極端ではなく無理がありませんので、妥当な数字かと思います。

そして、これらの人達が縄文社会に溶け込み、3000年の間に30万人になっていた、と推察できます。

なお、下の写真は、記事と関係ありませんが、藪の小道から抜けたところにあった美しい古風なマダガスカル風景です。

マダガスカルの田舎風景


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  1. 2016/06/23(木) 00:08:06|
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ツングース系の人達は日本人の半分になった(日本人のルーツ 2016.6.21)

マダガスカルのハイビスカス赤

拙ブログでは、日本人のルーツについて、モンゴル系、中国系、マレー系の混血民族であるツングースの人達が、朝鮮半島から5000年前頃から日本にくるようになったと指摘しております。

今回は、どのくらいの人数がきたのか、ハプログループの解析から愚推したことについて紹介します。

前のY染色体ハプログループの分類」では、日本に中国系のハプログループ(O2)が20%もあることを紹介しました。一方、ツングース系と言われる韓国ですが、中国系が44%も居ます。この数値が5000年前も同じであったかは定かでありませんが、ツングース系の民族が朝鮮半島にその頃から居たことが知られていますので、似たような割合かと思われます。

そこで、当時、日本では中国系は0%であったと仮定し、40%の中国系を含むツングース系民族が朝鮮半島から日本にきて、その半分の20%に日本で薄まったと仮定すると、ツングースの人達は、当時の日本人と同じぐらいの割合がきたことになります。

また、同じように、ツングース系の中のモンゴル系のハプログループ(C)について考察しますと、ツングース系が日本に来て人口の半分を占めたと仮定しますと、ツングース系のなかのモンゴル系の割合は13%ですので、モンゴル系は日本で半分の7%になります。この7%は、現在の日本のモンゴル系は9%であるという報告例から推察しますと、かなり近い数字になります。

以上のことから、日本にツングース系の人達が、5000年前頃から移動してきているうちに、日本人口の半分を占めるようになった、とハプログループの解析から可能です。

関連し、ウエブ検索しますと、縄文時代から弥生時代にかけ渡来人が多数きているという専門家の報告は多数ありますので、ツングースの人達が日本人の半分を占めたというのは妥当かもしれません。

なお、上と下の写真は記事と関係がありませんが、熱帯の花、紅白のハイビスカスです。ある駐車場の側に咲いていたものです。

マダガスカルのハイビスカス白


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  1. 2016/06/21(火) 00:09:10|
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富貴の地に処しては貧賤の痛痒を知らんことを要す(菜根たん)(中国名言故事と園芸 2016.6.19)

マダガスカル道路端の花6月

中国名言故事と園芸、今回は第14話、富貴の地に処しては貧賤の痛痒を知らんことを要す(菜根たん)について愚考します。

家庭菜園で考えますと、この言葉の意味は、立派な野菜を作ることができる人(富貴の地の人)は、うまくいっていない人(貧賤者や初心者)のことを思いやる気持ちがあることが望ましい、となります。

関連し、フランクに言いますと、家庭菜園ブログで立派なものが採れたという報告は多くあります。しかし、なぜ成功したのか、その栽培のポイントなどを紹介してくれる方は少ないのではないでしょうか。

このような方には、私は、「すごいですね。作り方のポイントの紹介をお願います」というコメントを入れるようにしています(笑)。

また、家庭菜園ブログでは失敗例の報告がありますが、このような例を見たときは、立派な野菜を作ることができる人は、自分の経験などをアドバイスするのが望ましいことになります。

なお、上と下の写真は記事と関係がありませんが、6月上旬、マダガスカルの田舎の小道の様子です。菊のような花が小道の側の古いレンガ壁に咲き乱れ、なかなか風情があります。

マダガスカル道路端の花6月拡大


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  1. 2016/06/19(日) 04:11:02|
  2. 中国名言故事と家庭菜園 
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緑トカゲの日向ぼっこ(マダガスカルとアフリカ 2016.6.17)

緑トカゲ日向ぼっこ1

拙ブログでは、マダガスカルの緑トカゲ(ヒルヤモリ)がベランダで共生していることを紹介しております。

マダガスカルの高原は今、冬です。冬といっても氷が張るわけではありませんが、寒いときは10℃ぐらいまで下がり、防寒具なしでは外出できない感じの寒さです。このせいか、我が家の緑トカゲは、小春日のように日が照って暖かいときしか現れません(笑)。

関連し、今回は、日向ぼっこしている緑トカゲ(ヒルヤモリ)の様子を紹介します。

上と下の写真は、その日向ぼっこの様子です。平和です(笑)。

簡単ですが、今回は、これで失礼します(笑)。

緑トカゲ日向ぼっこ2

緑トカゲ日向ぼっこ3

緑トカゲ4

緑トカゲ5


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  1. 2016/06/17(金) 00:20:21|
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弥生人は来なかった、稲作を導入したのは縄文人(日本人のルーツ 2016.6.15)

山東半島から稲作導入

前回(2日前)、大陸から朝鮮半島を渡ってきた人達はツングース系の畑作民族であり、水田稲作との関係は弱いことを指摘しました。

一方、Y遺伝子ハプログループ解析から、「縄文人はアイヌ系(D)とマレー系(O1b)の混成で両者とも海洋系の民族であったこと」を先に紹介しました。

私は、今、マダガスカルというアフリカの東岸の島に居ますが、ここの人達の大半は遠く東南アジアから移住してきたマレー系の人々であり、日本人と同じルーツを持っています。稲作が得意で、棚田を築き、アフリカで最も古い水田稲作の歴史を持っています。

そのことから推察しますと、日本においても、南方由来のマレー系の縄文人が、その航海能力を生かし水田稲作を導入したのではないかと思っています。

当時、南方の揚子江流域(江南地方)では世界最古の稲作が行われており、大規模な稲作遺跡として5000年前の「河姆渡(かぼと)遺跡」が知られています。そして、3000年前には、その稲作は中国南部一帯に広がり、北側の遼東半島まで広がっていたことが知られています。

三内丸山縄文遺跡の遺跡から、縄文時代に広い海洋情報網がり、中国の遼東半島辺りまで交易していたことが知られています。そのことから推察しますと、3000年前にはその中国南部の山東半島の情報も日本に伝わっていたと推察されます。

山東半島は、遼東半島に近いだけでなく、緯度は日本と同じであり、そこの稲品種は日本に適していたことが推察されます。

そこで、九州に居たマレー系の縄文人が、航海能力を生かし、その山東半島から日本に水稲稲作を3000年前頃から導入したのではないかと予想されます。

まとめますと、従来言われていた稲作技術をもった弥生人は来なかったことになります(笑)。来たのは畑作民族のツングー系であった。すなわち、水田稲作については縄文人が自力で導入した、というのが真相と思われます。

関連し、日本への稲作導入の経路を上に示しました。

一方、下の写真は、マレー系の人々が作ったマダガスカルの棚田の様子です。棚田は、人力で開発でき、原始的な水田稲作の形と思われます。日本の稲作も、当初は、このようだったと想像しております。

マダガスカルの棚田1

マダガスカルの棚田2

マダガスカルの棚田3


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  1. 2016/06/15(水) 02:58:18|
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ツングース系の民族と稲作(日本人のルーツ 2016.6.13)

マダガスカル・マジュンガの水田1

拙ブログでは、自然との共生のルーツなどと関連し、日本人のルーツについても愚考しております。今回は、縄文末期に日本にやってきたツングース系(満州系)の民族と稲作について愚考します。

ツングース系の民族が5000年前頃から日本に移住してきたこと」、その結果、西日本は、2500年前頃になると、人口増加のため自然採集経済が行き詰まり、新しい作物(水稲)を導入せざるを得なくなった、と拙ブログでは予想しております。

稲は5000年前には導入されていたことが分かってきました。しかし、本格化するのは西日本で食糧が不足してくる2500年前ごろと言われます。

その5000年前の稲ですが、それは陸稲であったと推察されています。陸稲は畑で栽培されますが、畑作は古くからあったことが知られており、その畑作物の一つとして稲も5000年頃から作られていたことになります。

しかし、一般に畑作は、地力を着けるため休耕期間が必要になるなどの問題があり、多くの人口を養うには広い土地が必要になります。さらに陸稲は、他の畑作物と比べ干ばつに弱い問題があり、畑作物として定着しなかったことが予想されます。

一方、水稲ですが、水稲は、森から流れてくる肥料を含んだ水を利用するため、無肥料で連作ができ、収量が安定しており、狭い土地で多くの人口を養うことができます。このため、水稲作(水田作)は人口が増えてきた西日本に適した作物であったと思われます。

そこで、当時、揚子江流域で広がっていた水田作が、人口の多くなった西日本を中心に導入され、その結果、日本は縄文時代から弥生時代に移っていったと思われます。

関連し、朝鮮半島を経由して日本に入ってきたツングース民族ですが、ツングース民族は満州民族に代表されますように畑作民族ですので、陸稲栽培には関係したかもしれませんが、水稲作の導入には直接関わっていなかった感じがします。

例えば、ツングース系の人達が居た当時の朝鮮半島ですが、稲作関係の遺跡は少ないことが分かっており、水田稲作の開始は日本より遅かったと指摘されています。

そこで、誰が主体となって稲作を導入したのかについては、次回に愚考します。

なお、上と下の写真は、記事と直接の関係ありませんが、マダガスカルの西北の港町マジュンガ近くの大規模な水田地帯の様子です。

マダガスカル・マジュンガの水田2


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  1. 2016/06/13(月) 01:10:46|
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男料理は日本料理に通じる(旬野菜料理 2016.6.11)

男料理素材プランタ栽培

中国の高名な料理家が、中国料理は世界一であるが、これに対抗できる料理は日本料理だけである、と日本料理を絶賛したことがあります。

その理由として、例えばフランス料理ですが、似たようなものは中国にもある、しかし、日本料理のような、素材の美味しさを出すというようなものは、中国料理や他の世界料理にはないこと、と説明しておりました。

関連し、家庭菜園は新鮮な素材を提供するので、「家庭菜園は素材を大切にする日本料理と結びついている」と拙ブログで紹介したことがあります。

一方、私は今、マダガスカルというところで男料理を作り、日本料理を懐かしみながら食べていますが、今回は、その男料理と日本料理の関係について愚考します。

まず男料理の定義ですが、素材を大きめに切って、簡単な味付けするだけのもの、という感じでしょうか。当然、素材の良し悪しで美味しさ決まりますので、男料理は日本料理、そのものと思われます(笑)。

関連し、上の写真は現在作成中の男料理の素材です(笑)。手前からカイワレブロッコリー、ソバの芽、カイワレダイコンです。もう食べごろです。

下の写真は、いくつかの男料理です。基本として、野菜は自分で作ったものを重宝しています。自慢は、ベランダで作ったインゲン(さつきみどり)や葉ものを使った旬野菜男料理という感じです。

男料理1インゲンお浸し

男料理2朝食

男料理3肉炒め

男料理4野菜サラダ

料理についてはブログ仲間も紹介しております。しかし、それらは立派でプロ級であり、男料理でない感じがします(笑)。

簡単ですが、今回はこれで失礼します。



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  1. 2016/06/11(土) 00:18:17|
  2. 旬野菜料理
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これはすごい「まごわやさしい」ラーメン(食と健康 2016.6.9)

まごわやさしいラーメン1

毎日食べると良い食材として、頭文字を使い「まごわやさしい」が知られています。

関連し、今回紹介するのは、「まごわやさしい」ラーメンです。上と下の写真がそのラーメンです。

まごわやさしいラーメン2

具体的に紹介しますと、「まごわやさしい」の中身は次のとおりです。

ま(豆類):高野豆腐
ご(ゴマ類):ゴマのふりかけ
わ(ワカメなど海藻類):乾燥モズク、乾燥ワカメ
や(野菜):プランタ栽培の葉物、インゲン
さ(魚など):乾燥小魚
し(シイタケなどキノコ類):現地調達のカンズメ(フランス製なめこ)、干しシイタケ
い(イモ類など根もの):ニンジン、ジャガイモ

下の2枚の写真は、その素材の様子です。

まごわやさしいラーメン素材1

まごわやさしいラーメン素材2

以上ですが、このラーメンを食べるなら、健康万全でしょう。私ことで恐縮ですが、「まごわやさしいラーメン」を食べ、毎日、元気いっぱいです(笑)。


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  1. 2016/06/09(木) 00:11:03|
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マレー系の人々は安全な海路でマダガスカルに来た(日本人のルーツ 2016.6.7)

マレー系のマダガスカル新移住経路

拙ブログで、マレー系の人々はマダガスカルだけでなく世界に広まった海洋民族であることを紹介しました。このとき、ブログ仲間の「マウントエレファントさん」が「不思議ですね。 その時代(5世紀頃)、海をわたるのは、それこそ命がけ。 でも、そうとしか考えられませんね」、とコメントしてくれました。

同じように私も思っていました。しかし、最近、マダガスカルの知識人から聞いたことですが、マレー系の人がマダガスカルに来た経路として、命がけでインド洋を渡る経路ではなく、安全なアフリカ東海岸を経て来たという説があるようです。

その関係の証拠(遺跡)はアフリカ東海岸にいくつも見つかっており、ある場所に住みつくとその場所にとどまり、落ち着いたところで次の場所へ、という感じで長い時間をかけて少しずつ移動してきたようで、命がけの移動ではなかったようです。

拙ブログでは、過去の記事をもとに、「アウトリガーを使いインド洋の島々を渡ってきた」と紹介したことがありますが、アウトリガーを使うにしろ、アフリカ東海岸経由説の方が安全であり、確実と思われます。

また、余談ですが、アフリカに最初に上陸した日本人に言及しますと、伊東マンショ等4人の天正の少年使節と言われております。

彼らは、1582年に長崎から出航し1584年にローマを訪れ、その帰路、1586年9月1日に東アフリカ南部のモザンピークに到着し、インド(ゴア)行きの季節風が吹くのを待ち、翌年3月まで半年間、当地に滞在した、とあります。こちらの方も、安全を優先し、のんびりしていた世界旅行であったと思います(笑)。

なお、関連し、上の地図は、マレー系の人達がアフリカ東海岸からマダガスカルに来たコース、そして、日本人が滞在したモザンビークの場所です。

一方、下の写真は記事と関係ありませんが、現在、マダガスカルで咲いている花の様子です。桜の仲間でしょうか。


マダガスカルの桜のような花2

マダガスカルの桜のような花1


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  1. 2016/06/07(火) 02:06:21|
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フイリピンの山地民族イフガオ族の謎に迫る(日本人のルーツ 2016.6.5)

バナウエの棚田

先日(2日前)、マダガスカルの埋葬と死後の世界について紹介しましたが、今回は、同じような埋葬の仕方をしているフイリピンのイフガオ族の謎について、素人ながら迫ります(笑)。

フイリピンのイフガオ族はルソン島北側の山地のバナウエに住む民族ですが、その民族の切り開いた棚田は、2000年以上の歴史があり、規模は世界最大、そして美しいことから世界遺産に登録されており、たいへん有名です。私は仕事の関係で、この場所を何回か訪問しましたが、上の写真は、その棚田の様子です。

イフガオ族はフイリピンの主要な民族と異なる言語と習慣を持ち、山中という孤立した世界に住んでいるとから、その由来が謎に包まれています。

また、その民族は、マダガスカルと同じく、死後、洗骨の儀式を行い、死者を祭る習慣を持っています。そして、マダガスカル人がキリスト教を受け入れても死者の埋葬や死後の世界のことは受け入れないと同様に、イフガオ族の人達にも同様な傾向が認められます。

山中の棚田、洗骨の儀式、これらのことから推察しますと、イフガオ族とマダガスカル人のルーツは同じなのではないかと思ってしまいます。

イフガオ族の人達のハプログループについて調べれば、そのルーツはすぐ分かることでしょうが、まだその情報は聞いていません。

マダガスカル人と同じルーツだとしたら、ハプログループは、おそらく、O1bでしょう。「O1bは日本人にあるマレー系のハプログループ」でもあり、同じルーツになり、興味深いところです。

一方、フイリピン人の多くは、ハプログループはO1a(台湾系)に属します。

なお、下の写真は、私が、その棚田の世界遺産のあるバナウエで買った稲の神様(ライスゴッド)と高床式の住居の置物です。稲と関係の深いこれらの置物を見ていると、イフガオ族は日本人と同じルーツなのかと思ってしまいます。

イフガオの彫り物ライスゴッド

イフガオの彫り物ライスゴッドと家


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  1. 2016/06/05(日) 03:34:01|
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マダガスカルのお墓、千の風になって(日本人のルーツ 2016.6.3)

マダガスカルのお墓1

「千の風になって」という歌詞がありますが、この詩は「死ぬと、その魂は肉体から離れ、天に行き、現世の家族を見守っている」という内容になっています。

マダガスカルの人達も同じ信仰を持っており、まさに、この「千の風になって」はマダガスカル人にぴったりの内容です。

関連し、上と下の写真は、マダガスカルでよくみられるお墓です。それぞれの家の墓があり、死ぬとお墓に入ります。そして死体は、お墓の中にあるベッドに横たえられます。

マダガスカルのお墓2

マダガスカルのお墓3

マダガスカルの習慣では、遺体が骨だけになると、遺族が、骨を洗い、布でくるみ、洗骨の儀式を行ない、天にいる死んだ父や母にそのことを報告します。天から父や母が見ているので、遺体と共に町を行進するような盛大な儀式が良いようです。

日本では、人は死ぬとあの世に行き、草葉の陰から家族を見守っているのが一般的な見方ですが、あの世に行くという点は共通のものを感じます。

マダガスカル人の大半はキリスト教と言われますが、同時に祖先崇拝の宗教も持っていることになります。その意味で、私は、キリスト教だけを信じている本当のクリスチャンには会ったことがありません。

なお、下の写真は、マダガスカルのほとんどの町にある教会です。宗派はカソリックではなく、イギリスが最初にキリスト教を広めた関係から、イギリス国教会に属するようです。したがって、マダガスカルでは、共通外国語はフランス語、宗教はイギリス国教会になります。

マダガスカルの教会


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  1. 2016/06/03(金) 03:00:42|
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初心者の農法と自然農法(農法 2016.6.1)

青い水田の花1

新緑薫る6月となり、家庭菜園も夏野菜の本番を迎えている頃かと思います。

最近は、無肥料無耕起の「自然農法」とかが話題になっており、これは自然農法で作られた野菜です、とテレビで放映されたりもしています。魅力的な農法のためか、初心者なのにいきなり実施している方も見受けられます。

関連し、拙ブログに、初心者の農法と自然農法について質問があったりしますので、今回は、この「初心者の農法と自然農法」について愚考します。

私の感想では、「自然農法」は初心者にできる農法ではありません。これにはまりますと、ほとんどの初心者は、前回紹介の「3年飛ばずまた鳴かず」となることが予想されます。

因みに、植物の生長には、多量のチッソ(N)、リン(P)、カリ(K)の他にマグネシウムなど多数の微量要素が必要ですが、収穫と共に、これらの成分は毎年減少していき、菜園は痩せ地となっていきます。

自然農法の元祖とも言われる福岡正信翁の例ですが、「福岡さんは、自然農法開始前の10年以上の間、大量の鶏糞と石灰窒素を圃場に入れており、肥沃になったところで自然農法を始めた」、と言われております。

すなわち、自然農法では、このように、まず土を作ることが重要と思われます。このため、初心者は、緑肥を入れて土を作る、あるいは有機肥料を入れて土を作ることが求められると思います。そして、何でもよく育つような熟畑になるには20年かかるとも言われています。

関連し、私の農法で恐縮ですが、有機肥料で育てた緑肥を刈り取って表層に置き、後は微生物にまかせるだけの方法(ぐうたら農法)が最も簡単で確実な土作りと思っています。

なお、上と下の写真は記事と関係ありませんが、マダガスカルの水田に咲いていた蓮のような花です。たまたま見つけたものですが、その青く輝く花の美しさに足が止まってしまいました(笑)。ホテイアオイの仲間かもしれません。

青い水田の花2

青い水田の花3


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  1. 2016/06/01(水) 02:32:12|
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