私は、今、マダガスカル高地というところで暮らしておりますが、昼寝を昼食後に30分ほどしています。関連し、「昼寝は健康を促進するが、どのくらい寝るのが最適なのだろうか?」という記事が阿修羅掲示板に紹介されていました。
私達高齢者に重要と思われますので紹介します。また、関連し、マダガスカルのコーヒーについても紹介します。
まず、昼寝に関する記事の一部を紹介しますと、次のとおりです。
昼寝は健康を促進するが、どのくらい寝るのが最適なのだろうか?米ペンシルバニア大学はこのほど米国の老年医学誌に掲載した研究結果で、毎日の昼寝時間は1時間が最適で、それにより脳を5歳若くすることができるとした。生命時報が伝えた。
研究チームは65歳以上の被験者3000人を集め、アンケート調査を通じて、その昼寝の習慣と記憶・認知能力を調べた。分析結果によると、毎日1時間昼寝をする人と比べ、昼寝をしない人の記憶・認知能力の成績が悪く、認知能力が低下するリスクが4-6倍となった。また1時間以上昼寝する人と比べた場合も、各種テストでより良い成績を収めることが明らかになった。
この研究結果から脳の健康に最も適した昼寝時間は1時間で、これを上回っても下回ってもよくないことがわかった。研究チームは「1時間は昼寝に最も適した時間だ。長期的に昼寝を心がければ、脳の老いを大幅に遅らせることができる」と結論付けている。(引用終了)
まとめますと、昼寝の時間は約1時間、それよりも長くても短くてもいけないということになりますが、個人差がありますので、私は、1時間でなく30分でもいいのかな、と思います。
私は66歳を超え、昼寝を約30分ほど毎日しておりますが、昼寝をすると、リフレッシュされた感じで、脳が活性化するのか、午後の生活が快適です。そして、私の場合、1時間も昼寝するときがありますが、そのときは、夜に眠りにくくなる問題があります(笑)。
一方、コーヒーですが、上と下の写真は、私が昼寝のあとに飲んでいるコーヒーです。以前にも紹介した現地ブレンドコーヒーですが、たいへん美味しいと思います。飲んだあと、昼寝の効果もあり、さらにすっきりした感じになり、脳や体が自然と動き、若返った感じがします。


なお、マダガスカルには美味しいコーヒーがないと思って日本から高級コーヒーをもってくる方が居られますが、必要ないと思います。マダガスカルはフランス統治の影響があり、食は美味しいと思います。
まとめますと、昼寝とコーヒーは脳を若がえらせる効果があると思うこの頃です。そして、フランスの影響なのか、この昼寝のことを現地ではシェスタと言い、昼休みが長い特徴があります(笑)。
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- 2017/03/02(木) 00:20:26|
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私は、アフリカのベナンという国に2年間(2009-2011年)滞在し、その国の出身者、そして、たけし学校で有名なゾマホンという人を知りました。関連し、今回は、ベナンとゾマホンについて愚考します。
まず、ベナン国の紹介ですが、北海道の2倍ぐらいの面積を持ち、人口は800万人程度の小さな国で、資源のない農業国です。1972年のクーデターを最後に、政治混乱はなくなり、1990年以降は、選挙で大統領が交代し、民主主義がアフリカでは最も進んだ国、として高い評価を受けています。
本制度を実現させたのは、2005年まで大統領を2期10年間勤め、憲法上の2期の制限を受け入れたたケレク氏でした。現大統領も民主的に選ばれた大統領です。これを、アフリカの奇跡と言う人もいます。
もともと、過半数を占める民族集団や地域がベナン国にはないことが背景にあると思われます。因みに、最大の民族集団(部族)はフォン族で人口の40%を占めていますが分裂しており、選挙で必ず勝てるとは言えない状況です。また、フォン族のアボメイ王国が奴隷貿易で栄えたという負の歴史的遺産もあり、フォン族の人気は高くはありません。
治安が良いため、派遣されるJICAの青年海外協力隊の数は多くなり、私が居たときの2009年は小国ながら59名となりました。そして、その75%は25歳前後の女性ですから、ベナン国の治安の良さが分かります。2010年からは日本大使館も開設されています。
さて、前置きが長くなりましたが、そのベナン国と日本を繋ぐベナン人の代表はタケシ学校で有名なゾマホンと言われています。日本での評判は大変なもので、ベナン国は知らなくともゾマホンは知っているという具合です(笑)。
資源の無い国は日本と同じように人材育成で行くのが望ましいという考えで、日本で集めた基金で「たけし学校」などを作り、人材育成に励んでいるとのことです。まさに、アフリカで初めてのルックイースト者と思われます。
しかし、ベナン国での評判となると、彼は、将来、ベナン国大統領になりたいという野心があると言われ、彼について良く言う人はほとんどいません。また、彼の日本学校の運営で、日本からボランテアできた女性が監禁されたという話もあり、おだやかではありません。
私は、ゾマホンのたけし学校を否定するわけではありませんが、先に紹介しましたように、アフリカの発展阻害要因は、教育だけの問題ではありません。やはり、地道で総合的な努力で発展するしかないというのが拙ブログの見解です。
なお、関連し、上の写真は、ベナン国北部にあるパラク市で見た「たけし学校」で、コマネチの絵があります(笑)。また、学校の「校」の字が独特でした(笑)。
この字で、ブログ仲間紹介の「女子」(実は好き)と見えるラーメン屋の看板を思い出しました(笑)。
また、下の写真はベナン国首都コトヌー市内の様子で、バイクが多く走っておりますが、半数以上はバイクタクシーと呼ばれるゼミジャンです。以前、ゼミじゃん青年については「アフリカのたらちねの母」で紹介したことがあります。

また、関連し、下の地図は私の居たベナンの場所です。

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- 2017/02/28(火) 02:11:14|
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私は福島県出身ですが、福島県の偉人と言えば、野口英世です。そして野口英世と言えばアフリカです。今回は、アフリカとの関連で、福島県出身者の活躍について愚考します(笑)。
まず、野口英世の生涯を紹介しますと次のとおりです。
彼は、アメリカに渡り、中南米の黄熱病の研究で、その病原菌の発見と治療薬の開発で一躍有名になりました。
そして、次の課題として西アフリカのガーナへ行き、黄熱病の研究に着手しました。しかし、彼は、その病原菌を同定することもできず自らも黄熱病にかかり病死しました。その献身的な彼の姿は、日本でよく知られているところであります。
しかし、アフリカでの評判となると、ガーナ人でもほとんどの人が知らないと言います。冷静に考察しますと、冷たい言い方かもしれませんが、彼は、アフリカの黄熱病では成果を出しておりません。有名になるには無理があります。私は、彼と同じ福島県の出身であり、アフリカに関係する者として応援したいのですが残念です。
なお、黄熱病については、その後、アフリカのものはウイルス病であることが分かり、ワクチン接種で予防ができるようになりました。アフリカの黄熱病は今でも重要病害であり、その予防接種証明(イエローカード)無しにはアフリカ大陸には上陸できないようになっていますので、アフリカへ来るときは忘れないようにお願いします。忘れたら、イエローカードでなくレッドカードです(笑)。
一方、アフリカに最初に上陸した日本人に言及しますと、伊東マンショ等4人の天正の少年使節と言われております。彼らは、1582年に長崎から出航し1584年にローマを訪れ、その岐路、1586年9月1日に東アフリカ南部のモザンピークに到着し、インド(ゴア)行きの季節風が吹くのを待ち、翌年3月まで半年間、当地に滞在した、とあります。
この伊東マンショですが、その伊東家の始まりは、伊豆の伊東出身の工藤祐隆が、義経征伐に貢献があったことから、福島県の安積(郡山市)に頼朝から所領をもらったことに始まります。伊東マンショは、その伊東家の流れで、戦国時代末期に伊達政宗の家来になったと言われます。
ということは、野口英世、伊東マンショ、そして、私ですが、時空を超えて福島県出身者がアフリカと関係していることになります(笑)。
なお、上のアフリカ地図は、彼らの関係場所の紹介です。
そして、下の写真は記事と関係ありませんが、以前に紹介しましたスイレンの続きです。まだ美しいです。そして、前回も紹介しましたが、スイレンは日本の女性のようだと思っています(笑)。


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- 2017/02/24(金) 00:16:43|
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